2008年04月10日
スロバキアの汎スラヴ主義
スロバキアの汎スラヴ主義について、調べてみました。
汎スラヴ主義の先駆けとなったのはスロバキアにおけるパヴェル・ヨゼフ・シャファーリク(1795年-1861年)やヤーン・コラール(1793年-1852年)の運動であった。彼らは「汎スラヴ主義の父」とも呼ばれる。
しかしながらスロバキアで汎スラヴ主義が発展することはなかった。これは、スロバキアでの汎スラヴ主義が西の隣国であり、文化においても人口規模においても優位に立つチェコ人への同化に繋がりかねないという懸念があったことが原因である。
チェコとスロバキアが一体であると主張する思想についてはチェコスロヴァキア主義を参照のこと。
汎スラブ主義の象徴的な歌である「スラブ人よ」も、元の曲・詞はスロバキア人の手によるものである。
イリュリア主義
南スラヴにおける汎スラヴ主義は、前述のシャファーリクやコラールの影響が大きい。しかしながらその前提として、イリュリア主義が存在した。
イリュリア主義は、紀元前にバルカン半島西部、すなわちイリュリアに存在したイリュリア人を南スラヴ人の祖先と見なし、これを根拠に南スラヴ人の言語・文化的統一を主張する思想である。
なお、今日ではイリュリア人が南スラヴ人の祖先ではないのはほぼ確実である。このためイリュリア主義はのちに衰退することになるが、その業績はユーゴスラヴ主義に引き継がれた。
主要なイリュリア主義者としては、クロアチアのリューデヴィト・ガイ(1809年-1872年)などが挙げられる。
- Permalink
- by
- at 15:47
- Trackbacks (0)